物販

アマゾンで物を販売するようになってそろそろ2年になる、ただし片手間というか小遣い稼ぎになればいいくらいの感覚なので力を入れているわけではない。それでも始めてみたばかりの頃は商品が販売されるのがうれしく、一日に何度も何度も売れ行きが気になりサイトへのアクセスを繰り返してしたものだった。ほとんどは自宅に合った不用品なので仕入れは0円、売値がそっくり売上高となる。そこから手数料として売値の35%ほどが差し引かれる。35%は大きいが商品管理、受注から発送に回収、また返品対応やクレーム処理まで行ってくれるわけなので出品者は売れ筋商品の仕入れに専念できるといったメリットの方がおおきい。

だだししょせんは片手間なのである程度出品が済めばあとはだんだん興味もうすくなり、気がつけば本来ならば売り上げと相殺されるべき手数料の請求が発生(売り上げが手数料さえも下回っている)そしてついに今月、アマゾンより滞留在庫判定される商品が約30点にもなる旨通知をいただいた。こうなると保管手数料がぐんと跳ね上げるのでお金を払ってさらに在庫をさせるのか、廃棄を依頼する、もしくは出品取り消し(返送してもらう)の三択である。14日までに手続きをしなければならないが返送の方向性で考えている。そしてオークションにでも出してみるつもりだ。楽譜が多いので束にしてみれば二束三文でさばけるのかもしれない。

あまり景気の良い話ではないが、しかたない。物販はおもしろいしネットビジネスをはじめるのなら最適であると思う、でもほどほどに切り上げることも大事なので時期を見失わないよう行うことも大切である。主に楽譜を中心に販売をしていたのであるが意外と好調であったのが「占い」利益額はたいしたことはないが割とはずれがなかったことは意外であった、ネットで検索してみても占いそのものの人気も高いことがよくわかる。僕も一回お世話になってみようかなどと思っている。

源泉かけ流し

「源泉かけ流し大森の湯」にしばらく浸かって過ごした。ここの湯は温度計を見ると42度、たぶん温泉の中では熱いほうの仲間に入るのではないか。僕は熱い湯を好むので最近泊まった宿ではいつも物足りなさを感じていた。それだけにこりゃいいわ、と思たりしたのだか情けない話のぼせてしまった。往年の頃は2時間くらい過ごさねば温泉に浸かった気はしなかったのだが、これも体力の衰えなのか。小さな水風呂があったので腰までつかってみたが冷たくしびれとても入れない、よく平気でザブザブ浸かっているオヤジがいるがあんな真似はとてもできない。

しばらくぼんやり洗い場の椅子に腰かけ出入りするおっさんたちを見ていると手提げのついたカゴの中にシャンプーやリンス、それからクリーらしきものを詰め込み持参して入ってきたオヤジがいた。冴えない普通のおやじである、腹もみっともないくらい出っ張っている。若い衆ならまだわからないでもないがなにがシャンプーだこの、と思ったりした。泡が激しく湧き出している風呂ではどこの国から来たのか赤ら顔の外人のおやじが鋭い目をして入っている、わりと小柄だが体毛がすごい。頭は金髪なので胸毛も白っぽい。

たまたまレーザー脱毛の話を読んだばかりだったのだが、レーザーの場合組織を破壊させるのだがその際、黒い色に反応させるため白髪は脱毛ができないそうである。また極端な日焼けをした肌にも同様に効果がないらしい。このオヤジは脱毛などする気はないのだろうが全身コースでも選択すれば、いったい幾らくらいかかるのであろう。それからやっぱり禿げたオヤジは相対的に体毛が濃いように見えるがこれについてはいかがなものだろう。そんな目で観察すると背中に毛が生えた人、ケツ一面毛に覆われたオヤジなど体毛についても濃い人は本当に濃い。

脱毛に走る男が増えているようである、たしかに見栄えはあまりいいものではないな、などと思ったりした。ちなみに僕は幸いなことに薄いほうです。

人気の秘密

ぼんやりテレビを見ていたらムダ毛が嫌いな男の日常が取り上げられていた、ひげ剃りのような、ムダ毛シェーバーとでもいうのかをジージーいわせながら腕、脚しれに胸の毛の処理に余念がない。その様子がたぶん潔癖症なのだろう、執拗というか病的であり気味が悪かった。一日何回もこういった行為を繰り返すのである、しかし見た目は特別毛深い体質にも見えない。とにかくちょっとでも顔を出されるのが嫌で嫌でしょうがないらしい。

むかしだったらワキ毛を剃る男などいなかったが、今はそうでもない。とくに夏場を迎え、肌を露出させる機会の多い季節になるとなおさらであろう。また脱毛に限らずメンズ美容市場は増加の一途と聞く、脱毛市場も700億円のうち男性客相手は150億円にも及ぶとのこと。男の脱毛とは毛深さをコンプレックスにされた方がこっそり行うものであったはずだ。いやむしろ胸毛など、男らしさの象徴などともてはやされたものではなかったか。

こういった価値観の変化に絡むのはやはり女性の存在である。女性は身だしなみとしてムダ毛を処理することがごく当たり前となっている、女性の立場から見れば伸び放題となっている男性の体毛はただ不快なものとしか映らないのかもしれない。またそういったことが女性の方から言える世の中になったのであろう。いつの時代になっても男性は女性の気を引きたいと思って生きている、男もいつしか体毛をムダ毛として認識し始めた背景にはこんな事情があるのかもしれない。

しかし実際にヒゲなどを脱毛してしまうと本当にラクなのだそうです。また面白かったのが、スネや腕の剛毛がなくなったおかげで、ファッションが楽しめるようになったといた話ではなく、陰部をすっきりさせたところ、本当に快適な毎日を過ごせるようになったといった声が実に多いことでしょうか。このVIOライン脱毛はとくに人気があるそうです(人気の秘密はこちらに詳しく解説されています)、気になるようでしたらあなたもひとついかがでしょうか。

たかがペット

ペットの死から立ち直れない人をペットロスというらしい。長年生活を共にしてきたペットである、それは悲しいであろう。ただ悲しみに暮れて会社を休んだりすると話は変わってくる、「たかがペットでいったいなんだ」このたかがペット、と無神経に浴びせられた一言が神経を逆なでするらしい。愛犬を亡くした飼い主の悲しみ、それは深いもの、簡単にわかりますなどとは言えない。しかし2日も休まれればたしかに「変人」とみなす気持ちもよくわかる。

「あいつ犬が死んだ、といってもう2日も会社に来てねえぞ」となるのである。特にサラリーマンはこの手の事件が好きである。陰でコソコソここだけの話だけど、などと言いながらあいつもおかしいよな、などと言っては日ごろのうっぷんを晴らすのである。ペットに話を戻すと愛犬が亡くなったら行政への届け出が必要となる、窓口はこちらに詳しく書いてある。処分というのも酷であるがそれなりに扱ってくれるはずである。

僕はペットなど全く縁のない生活をしている。動物は嫌いではないがペットという習慣は嫌いである、ちなみに動物園も嫌いだ。いくら愛情をこめてなどと言っても、生き物をオモチャにしたり見世物にすることが理解できない。それから動物を飼いたくないという人の理由に、「別れがつらいから」がある。鶴は千年亀は万年などと言っても犬やネコの寿命はいいとこ15年、いずれ見送らなければならないし逆にひとり暮らしの人間など先に本人が逝ってしまえばペットも困るわけである。

一度辛い別れを経験するともう二度と飼いたくない、となる人も多いのであろう。しかしこれは今までペットと過ごしてきた素晴らしい毎日を否定することである、といった見方があることを知った。この考えは僕にもわかるような気がする。ペットだけではない、人間はもちろん生き物はやがて死ぬのである、失った悲しみは消えないのであろう、しかし一緒に過ごした毎日だって消えないのである。

トリミングサロン

最近は犬を飼う人が減ったのかな、などと思っていたがなんてことはない、今は外で飼う時代ではなく室内で飼う時代なのだとか。犬小屋など遺物のようになってしまったのかもしれない。どうやって調べたのかわからないが、日本国内で飼育さてているペットの数は2000万弱と言われている。この数字が多いのが少ないのかはわからないが、ここ数年の傾向を見るとネコは横ばい、犬は減少気味とのこと。

隣町に犬好きの友人がいて最近いいトリミングサロンがないかあちこち探しているところだと言う。トリミングサロン、聞いたこともなくなんだそれはと尋ねるとペットの毛を切ったり整えたりしてくれるところらしい。犬も床屋に行くのか、と聞けば床屋というよりは美容院、サロンでありマッサージもあればアロマテラピー、爪切りに肌のお手入れなどなどもあるという。贅沢極まりないわけだ。

しかし、そんなことをして本当に犬は喜ぶのだろうか。よく利用するショッピングモールの奥にはペットコーナーがある、ペットには興味がないだけでなく、水槽のような小さな見世物小屋に入れられた子犬などを見ると、かわいそうでならない。だからなるべく見ないようにしているのだが、まるでオモチャではないか。生き物になんてことを、などと思っても犬だけ被害にあっているわけではない。

金魚など鑑賞要として作り出されたものだし、動物ではないが、盆栽だって同じようなものだろう。ペットも昔に比べれば、ずいぶん長生きをするようになったというが、子犬のうちは無邪気でかわいい、しかしそのうちに飽きられたりはしないのだろうか。愛犬家の話はよく聞くが無責任な連中だっているはずだ。ペットのことをいろいろ調べると、室内飼育が増えたおかげでペットの関節病が増えているらしい。

フローリングの床が悪いという。そして関節に良いとされるサプリメントまで販売されているわけである。人間と犬が共存する時代とか言われているが、人間にとって都合よく扱えるように改良されているようで、やっぱりかわいそうである。

今は室内飼育が上回る時代

近所を歩いていると親子連れとすれ違い、そのすれ違いざま幼稚園くらいの女の子が「こんにちはー」と、とても元気よく挨拶してくれました。強制されるわけでもなくしっかりと挨拶することが当たり前のようになっているのでしょうね。

「こんにちは」僕も大きな声で応じましたが本当に気持ちがよかった。そして立派なご両親なんだな、などと少しうらやましくもなったりしました。子犬を連れていましたが、僕はまったく興味がないので種類などはわかりません、しかしすべて彼女のおかげで、こいつさえ利口そうに見えたりしました。

しかし犬といえば、買い物の行き帰りなどよくワンワン、ギャンギャン鳴き声は聞こえてきますが、その姿を見ることはありません。もう庭先で犬小屋で飼う時代ではないのでしょう、ぼくは気がかりなことがあると、納得がいくまで調べてしまうほうなので、帰宅するとワンちゃんについて、あれこれ検索してしばらく時間を過ごしたのでした。

屋内飼育と屋外、これを比較すると今では犬の待遇は逆転したようです。食べ物なんか特にそうで、昔は「残飯」が飼い犬の主食でした、ごはんに余りモノのおかず、そして味噌汁を上からぶっかける、これを洗面器のような器に盛られるのが彼らの定食でした。

そして昔の犬、昔と言っても20年から30年前は飼い犬とはいっても犬小屋で鎖につながれた彼らには「獰猛」さがありました。僕など大昔、子供の頃は野良犬がまだウロウロしていた時代、「見知らぬ犬には近づいてはいけません」などと言われたことを思えば、犬と人間の関係はほんとうに変わりました。

人間がいいように変えてしまったのかもしれません。いまではここ日本では野良犬など見かけることはありません。行政の対応の充実もあるのでしょうが、人間様に仕えなければ生きていけない彼らを思うと不憫にもなります。

いろいろ検索して感じたことを書きましたが、室内で飼われるようになればなったで、ペットも関節炎や肥満など飼育環境の変化からくるリスクも考えてやらなければならないようです。老後の介護なんかもあるようですね。かれらも家族の一員です、温かく見守ってやってほしいですね。

名古屋打ち

「スペースインベーダー」と何気なく検索したら、往年の名作ゲームも今はただで手軽に楽しめるらしくしばらく遊んでみました。なつかしいのですが、やっぱりどうせやるのなら本物がいいですね。

インベーターが流行ったのは僕が高校を卒業したころ、卒業後は都内の大学に進学をしたのですがその時には人気は「爆発的」になっていました。当時は今とは違い駅前商店街には普通に喫茶店があった時代です、そしてその頃はどの店に入ってもインベーダーが置かれており皆100円玉を用意しては黙々と挑んでいたものです。

大学に入るといろいろな連中と知り合いましたがその中に阿部君というあまり目立たぬ男がいたのですが、こいつがインベーダーの名人で、こいつが座るとその台のハイスコアが更新されていくのです。その手さばきは見事なものでした、しかし「すごいね」などとは言っても、夢中になっている本人や画面を見ても何も面白くはありません。

当時はやはりみんな普通にタバコを吸っていました、僕もショートホープを30本くらい毎日プカプカしていたのですが、ひと箱180円(ショートホープは10本入りだったので90円)の時代です、たかがゲームに100円使うのも度を過ぎれば浪費であることは承知していたので、本当は遊びたかったのですがいつもがまんをしていました。

そして、どこかにカネでも落ちはいないかといつも下ばかり見て歩いていました。インベーダーに話を戻すとその阿部君の戦法は「地獄打ち」と本人もいっていましたが一般的には「名古屋打ち」で通っているようですね。

なんで名古屋なのかわかりませんが実に合理的な戦法でしたね、この戦法のキーポイントは何といってもUFOを確実に300点で撃ち落とすこと、それにはたしか一発目のUFOは二十何発目でねらい、それ以降は15発目くらいで確実に仕留める技術が求められました。

僕もなんだかんだ言ってよく練習したものでしたので、当時はそこそこのスコアも出せたかと思いますが、いまはどうかというと懐かしさに満足したらもう飽きてしまいました。しかしなんで名古屋打ちというのでしょうか。

そしてそういえば、来週用があって栄まで行くのですが伏見に向かって5分ほど歩くと松屋さんがあり、その近所にある喫茶店では奥で占いを行っています。ここがまたよく当たると評判らしいのです。

5年ほど前の話ですがやはり名古屋のスナックで飲んでいるとマスターが趣味で占いをやっているらしく僕の性格を占ってくれました、パソコンになにやらカタカタ打ってから印刷されたのはホロスコープとかいう星占いのチャートのようなものでした。

マスターはそれを見ながら見事に僕の正体を暴きました。占いおそるべし!名古屋に行くたびにこの時のことを思い出します。名古屋で占い、いかがですか。

平間のおじさん

川崎に行ったついでに南武線に乗り平間で下車し、久しぶりにかつて暮らしたこの町を歩いてみた。踏切を渡りコンビニの先の細い道を右に折れ、さらに奥に向かって歩いて行ったところにあった、学生寮のような作りのおんぼろのアパートを僕は借りていたのである。

ここを訪れてみたのももう30年ぶり、町はすっかり変わってしまった、それは30年もたったので当たり前のことだ。そしてかつて暮らしたそのアパートのあたりに行ってみたがもちろんそんな建物は残っているはずもなく、どのあたりにあったのかもわからない、ただ道だけは多分変わらなく残っていた。

銭湯もなくなってしまったし、よく利用したホカ弁のお店もない、踏切近くにあった床屋もない。この町ではたしか2年ほど過ごしただけである、過ごした毎日のことなどあまり記憶にはないがこうして歩いた商店街のことやよく通ったラーメン屋さんなど風景は妙に覚えていたりするので、まだ営業されている店などを発見するとうれしくなったりした。

あのころよく商店街を犬を連れて歩いていたおじさんがいた、そのおじさんを「ちょんまげら」といった居酒屋で見かけたことがある。僕は酔っぱらっていたので「こんにちは」と挨拶をするとおじさんも僕のことは顔見知りだったようで「そうかそうか」と気前よくご馳走してくれた。

聞くとおじさんの本職は獣医さん、犬猫病院の先生をしているとのこと。しかし景気はさっぱり、近々閉めようかと思っている、そんな話を聞かされたことをよく覚えている。ペットを飼う習慣は古くからのものであっても、病院にまで連れていく飼い主は多くはなかった時代だった。

それが今やペット産業は一兆円産業ともいわれペットを取り巻く環境はまったく変わってしまった、犬猫病院にしても今ではアニマルクリニックである、医療設備だって人間様並み、定期検診まである時代である。

ちなみに川崎市の動物病院を調べてみるとこんなにたくさんの病院が営業をされている。年を考えればあのおじさんはもう現役ではないだろうが、その後病院はどうされたのだろう。そんなことが妙に気なったりした。

猫と麺類

高校生の頃自宅でネコを飼っていたことがありました、ありふれた茶ブチでしたが本当にかわいい奴で、僕もとてもかわいがりました。名前はミーと家の者はよんでいましたが、僕自身は「ネコ」と名付けました、猫だからネコです、とてもシンプルな名前ではないですか。

当時はペットの名前というと犬だったらポチとかシロ、猫だったらタマとかやっぱりシロといった「いかにも」的なものが主流でした、もちろんこれは僕のイメージで実際は違った現実があったのでしょうが。

ネコは表に出るときにはいつも座敷の引き戸を前足で器用に開けて出ていきました。もちろん開けっ放しです、いつも外では何をしていたのか知りませんが帰宅の際は応接間の窓からいつも入ってくのです。

しかしこの窓はサッシであり普段はカギもかけてあるので自分で開けることはなく、外から開けてくれと鳴き声で合図をするのでした。とても利口で美しく凛とした品格がありましたが2年ほど暮らした後天国に召されました。

その後2週間ほどして、見たことがない一匹の黒ブチの子猫がどうどうと玄関から入ってきました。家の者からクロと名付けられたその子供はかわいいことには変わりはありませんが、先代に比べ動きも緩慢でどこか精彩も欠きます。

僕は「タロウ」を命名し、やっぱりかわいがりました。その後3年ほどして先代の後を追ってしまいましたが僕は2匹の猫と子供のころから生活を共にしたのでなんとなく猫の習性とか気持ちがわかるような気がします。

そして以来飼ったこともないのですが猫はやっぱり大好きです。うちの近所にはたまに野良猫がウロウロしています、彼らを見ると、人間などに飼われることなく彼らなりに自由に生活できる場所などもうないのかと思ったりして、とても切なくなります。

それから思い出なのですが先代は「ヤキソバ」を好んで食べました、なんでこんなものが好きなのかわかりませんが、夜中になると腹を空かした僕が作ったヤキソバをよく一緒にうまそうに食っていました、そして二代目はヤキソバを与えても見向きもしないのですがなぜか「うどん」が好きでした。

猫は特定の麺類を好むものなのか、遠い昔まだ学生だった僕は不思議に思ったものでした。あれから何十年も経った今、ペットを取り巻く環境もずいぶん変わり犬や猫も高齢化がすすみ「生活習慣病」にかかる時代になったとか、人間の生活の翻弄されていく彼らがなんというのか、かわそうでなりません。

在宅ワークでもモチベーションを

読書は好きなのですが、自己啓発本は嫌いでまず読んだことがありませんでした。それが好んで読むようになったのが2年ほど前から、退職を機に「自分の背中を押してくれる人」を求めていたのでしょう。

僕にはそんな友人も知り合いもいませんので本に頼ったわけです。そして読み始めるとどうでしょう、たまたま手にした本の内容が良く運が良かったのか、面白いのです。ただ2日もすれば中味は忘れてしまいます、一時的に元気にしてくれるもの、ユンケルでも飲むようなものかもしれません。

本の内容は忘れても気に入った言葉が二つ三つでも記憶の片隅にでも残れば、まあいいのではないかと思っています。こういった本は小説や物語とちがって実に読みやすいのも特徴ですね、極端な話どこから読んでもいいような内容ばかりなのですから。

だから都合の良いところや、要点だけを読み込んだらあとは捨てる、要するに読まないなどといった「読書術」なんかを解く人間などもいたりするわけです。しかし「○○の習慣」などといった厚手の翻訳物については逆にとても読み辛い、表現がまだるっこいというか、どうも苦手なので途中で投げてしまいます。

ただしこの手の本やビジネスについてはアメリカなど先進国であり日本で活躍されておられる方も参考にしておられるそうです。どういうきっかけで購読が始まったのかさっぱりわかりませんが、名前は失念しましたが世界的に有名な企業コンサルタントさんの日本代理店のようなところからよくメルマガが送られてきています。

たまにセミナーが開催されるそうですが参加費は300万円と全く意味不明、しかし世界中から受講希望者が殺到するなどと書いてありました。メルマガにはいつもビジネスヒントのような文章が添えられおり、なかなかタメにもなり目は通すのですが本日は「モチベーション」について書かれていました。

要約すれば「小さな成功を、都度みんなで認め喜ぶ習慣」こんなことを取り入れた企業が数年で社内環境もやる気も業績も著しく向上した、そのようなことが書かれておりました。これは個人においても言えることなのでしょうね。

特に在宅ワークなどモチベーションがピンと張っていないとだらけたものになってしまいます。しかしそんな在宅ワークで月に100万円稼ぐ話もあることを知っていましたか。なかなか面白い商売です、彼女たちにコンサルをする商売だってありかもしれません。面白そうだとは思いませんか。