たかがペット

ペットの死から立ち直れない人をペットロスというらしい。長年生活を共にしてきたペットである、それは悲しいであろう。ただ悲しみに暮れて会社を休んだりすると話は変わってくる、「たかがペットでいったいなんだ」このたかがペット、と無神経に浴びせられた一言が神経を逆なでするらしい。愛犬を亡くした飼い主の悲しみ、それは深いもの、簡単にわかりますなどとは言えない。しかし2日も休まれればたしかに「変人」とみなす気持ちもよくわかる。

「あいつ犬が死んだ、といってもう2日も会社に来てねえぞ」となるのである。特にサラリーマンはこの手の事件が好きである。陰でコソコソここだけの話だけど、などと言いながらあいつもおかしいよな、などと言っては日ごろのうっぷんを晴らすのである。ペットに話を戻すと愛犬が亡くなったら行政への届け出が必要となる、窓口はこちらに詳しく書いてある。処分というのも酷であるがそれなりに扱ってくれるはずである。

僕はペットなど全く縁のない生活をしている。動物は嫌いではないがペットという習慣は嫌いである、ちなみに動物園も嫌いだ。いくら愛情をこめてなどと言っても、生き物をオモチャにしたり見世物にすることが理解できない。それから動物を飼いたくないという人の理由に、「別れがつらいから」がある。鶴は千年亀は万年などと言っても犬やネコの寿命はいいとこ15年、いずれ見送らなければならないし逆にひとり暮らしの人間など先に本人が逝ってしまえばペットも困るわけである。

一度辛い別れを経験するともう二度と飼いたくない、となる人も多いのであろう。しかしこれは今までペットと過ごしてきた素晴らしい毎日を否定することである、といった見方があることを知った。この考えは僕にもわかるような気がする。ペットだけではない、人間はもちろん生き物はやがて死ぬのである、失った悲しみは消えないのであろう、しかし一緒に過ごした毎日だって消えないのである。